2016年 09月 19日
最近はというと |
「始まりの歌」
世代的にドンズバでしたから、尾崎豊の名曲ばかり期待してしまうのですが、ご本人の作った楽曲もなかなか聞き入ってしまいました。
しかし。。
十五の夜に感化されていた自分からすると、裕哉さん、真っすぐに育ったものです。ちょこっと親戚のおじさん状態笑。
これからも応援したいと思います。
さて。
本題です。
9月は国立劇場五十周年記念公演の「一谷嫩軍記」通し狂言。
第一部が堀川御所の段から林住家の段で、第二部が寿式三番叟をはさんで、弥陀六内の段から熊谷陣屋の段まででした。
第一部を観て、別な日に第二部、そして再度別な日を選び第一部をもう一度。
けっこう食わず嫌いをせず、時代物から世話物まで観ていた文楽ですが、どちらかというと世話物が好きだったのです。
しかし、今回通しで観たことで、時代物のおおらかさ、素直なヒーロー像を描くところ、そして悲劇の描き方に感じ入ってしまいました。
大好きなシーンはこちら。
組討の段より。
親子でありながら、劇中では他人同士を演じる熊谷とその子、小次郎。
その二人が必定というか成り行きというか、熊谷が小次郎の首を斬らなくてはならない場面でのこの台詞。
「順縁逆縁倶に菩提、未来は必ず一蓮托生」
「南無阿弥陀仏」
「南無阿弥陀仏」
首は前にぞ落ちにける。
ここの熊谷の無念さを心に刻みつつ、最後まで観ると、熊谷陣屋の段の最後に熊谷が言う「十六年も一昔。夢であったなあ」がしみじみと涙を誘うわけなのでした。
by RM035
| 2016-09-19 21:05
| 雑記