2016年 08月 03日
夏休み文楽特別公演 |
先日、国立文楽劇場で夏休み文楽特別公演の第二部と第三部を観て参りました。
第二部「薫樹累物語」豆腐屋の段から土橋の段
「伊勢音頭恋寝刃」古市油屋の段から奥庭十人斬りの段
第三部「金壷親父恋達引」
「薫樹累物語」
実に良かったです。怪談系の話しであるものの、夫婦の愛、もつれ、忠義がとても細やかに描かれていて、感じ入ってしまいました。
「不自由な世帯を苦にもせず、誠を尽くしてたもる心底、心の器量は昔の百倍、コレ何の愛想を尽かさうぞいの。」
与右衛門は忠義のために歌潟姫を救おうと大金を集めようとするのですが、結果的に妻の累の嫉妬を誘い、修羅場を迎えた場面で与右衛門が累にこの台詞を言うのですが、これが全く累の心に届かない。
これは与右衛門の心の底からの気持ちだし、そもそも忠義のためだし、浮気でもないし、そこにこの台詞!
観ながら、「これなら累の心にささるか??」と思ってましたが、いやもう全然響かなかった笑。全く届きません。
まあ、夫婦間、親子間、いろんな人間関係の中で、実際にこういうことって、、あるよなあ。
「伊勢音頭恋寝刃」
歌舞伎でも観たことがあるのですが、個人的には文楽で観る方が圧倒的に好きな演目です。
古市油屋の段で、いじめにいじめられて耐え忍ぶ貢、でもって、それが爆発して奥庭十人斬りの段につながります。
奥庭十人斬りでは、最初に万野という女主人を斬って、そのあと誰彼かまわず斬っていくあたりの「我を失って人間でないもの(銘刀『青江下坂』に取り憑かれる設定)」に変貌していく雰囲気をうまく表現出来るのが文楽だと思うんですよねえ。
それと。
斬られた後の人形というのは、そのまま舞台に置かれたりします。特に奥庭十人斬りの段ではそういうパターンが多いでしょうか。その際に人形遣いの皆さんは人形を離れて舞台からはけるわけなんですが、その置き去りにされた人形が、本当に肉体から魂が抜けた感じというのをリアルに伝えてくれるんですよね。
何かこう例えば、自分の経験で飼っていた猫が死んだ時に感じたことの一つに、亡くなった瞬間に質量が少なくなって物体に変わるイメージというのがあるのですが、魂が抜けて亡骸になったあの感じ。それを実に的確に再生しているように思うのです。
ま、しかし。
斬るだけ斬って、そのあとで正気に戻り、元の部下である喜助に「ムムしからば喜助。跡を頼む」と言い捨てて、その場を立ち去る感じが、ハリウッド映画みたいだなあと思ったりします。ダイ・ハードシリーズみたいですよね笑。あれだけ人を撃ってビルを壊して大丈夫??みたいな。
ついつい長文になりました。最後はさらっと。
「金壷親父恋達引」も面白いです!第三部がこの演目で良かった。明るい気持ちで帰ることが出来ました!
by RM035
| 2016-08-03 21:18
| 雑記